映画 - 万引き家族は間違いなく傑作だと思いました

是枝監督の映画は、全て見ることにしており、昨年、万引き家族も映画館にて視聴しました。是枝監督のテーマの1つは家族、ということだと思いますが、この映画も家族がテーマでした。家族ってなんだろうな、という問いかけがずっと続いています。

どうして家族がテーマになるのかと言うと、家族でいることが難しいからだと思います。人は誰でも成人になる前に死を迎えない限り、子供から成人・大人になります。そのまま大人で終わる人もいますが、子供を持って親になる人もいます。

子供の時の家族と、親になってからの家族は違います。子供の時は、多くがGivenです。親を選ぶこともできないし、名前だって選べません。性別だって選べません。知能だって、鼻の高さだって、目の大きさだって、背の高さだって選べません。親の資産だって選べません。全部、親からのGivenなのです。そう意味では、生まれて時に全てが決まっています。著しく不公平かもしれない。その環境と身体で、やっていくしかありません。しかし、大人になるにつれて努力したものが勝者となり、努力しなかったものが敗者になる、と言う見方が優勢になっていきます。確かに全ての条件が同じであれば、それは正しいでしょう。実際は生まれた時に恵まれ人間と恵まれない人間に分かれている。

親はどうでしょう。親は子供を持つかどうかを選べます。配偶者を選べます。就職先を選ぶことで、資産を形成していくこともできます。最近では、性別だって、髪の色だって、鼻の高さだって選べます。親には多くの選択肢があります。しかし、子供を選ぶことはできません。それはあなたの子、でしかありません。こんな子が欲しい、なんて思っても、その通りにはなりません。こんな子供に育って欲しい、将来はこんな大人になって欲しい、なんて思っても、その通りにはなりません。つまり、家族を持つと言うことは、思い通りにならないことだらけだと言えると思います。

そこをうまくやっていける人とやっていけない人がいます。是枝監督に出てくる家族は、うまくやっていける人と、そうじゃない人がでてきます。そして、多分誰にでも、うまくやれている部分とやれていない部分がある。だから、是枝監督の映画は、好き嫌いが分かれます。自分の嫌な部分、負の部分を指摘してくるからです。せっかく金を払って見たのに、何様のつもりだ、となるわけです。金を払っている方が立場が上だという前提で映画をみにきたのに、説教された気分になるわけです。

でも僕は、そういうのって、いいことだと思います。是枝監督が意識的にそうしているのだと思うのです。そして、論議を呼ぶ映画はいい映画だと思うのです。

万引き家族が花火を見上げるシーンは、とてもいいです。カメラが引いて俯瞰した時、この世界が頼りないものの積み重ねが成り立っているような気分になります。万引き家族には、取られる側の人間と取る側の人間が立ち位置を変えて何度も出てきます。

死んでしまったおばあちゃんのお金を取る擬似夫婦、そのおばあちゃんは、そのお金を元夫の家族から無言の圧力でもらいます。元夫の家族は、おばあちゃんから元夫を奪った事で、良い暮らしをしてる。打算と優しさと、馴れ合いで生きている万引き家族。それは、見かけの違いや程度の違いはあっても、自分の中にある何かを指摘してきます。

昨日、久しぶりに再視聴したので、メモがわりにBlogを書きました。明日は、幻の光について、書きます。